ぐぐーる

あなたらしい楽しさと幸せを

ぐぐーるからのおしらせ

ども、サボりまくったぐぐーるです。

こちらのブログではこれからも世の中のためになるようなことを発信して行きます。

こちらで書いていた、妄想とか創作、考え事などは今後は妄想の王さまで書くことにしました。メモとかネット記事への反応なんかも書くつもりです。読み物としてはこちらの方が面白くなると思います。よかったらご購読いただけると励みになります。

よろしくお願いします。

自分にかけられた呪いを解いて生きる

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あなたは自分の考えや行動に呪いがかけられていることを知ってますか?そんな呪いの正体と、呪いの外し方について書きました。

ども、細かく指示されるのが大きらいなぐぐーるです。お任せしてくれればいい仕事しますよー。

呪いの正体は?

あなたは人と話したり、物事を判断するときに毎回、しっかり考えて返事をしたり、決めたりしていますか?

じつは、人間は普段の行動において、ほとんど考えずに過去の経験からできた判断の基準を使って行動している。

そういった判断の基準を作った過去の経験にもいろいろあって、自分の体験からできるものもあれば、誰かに言われてそうかなとなんとなく信じてしまったものなどがある。

それらを物事に当てはめて考えることをやりやすくする。これは脳の仕組みによるもので、同じような出来事は前に使った記憶を呼び出してどうすればいいのかを考えやすくしている。

つまり、判断をすばやく、楽にできる、脳の仕組みである。

なぜ呪いなのか?

この仕組みは環境の影響を強く受ける。

例えば、男は大体が母親に甘えて育つ。これが母親には甘えて良いという思考のベースを作る。

さて、この男性が母親には甘えて良いと言う考え方から、女性には甘えて良いという部分を抜き出して、社会で出会う女性に接していくと、どうなるだろうか?

うまく関係を築くことは難しいだろう、イケメンであってもいずれ破局する。

このように、環境が変わる際に思考のベースになる部分をうまく見直したり、新しい出来事であるという認識ができないと間違いが起きることになる。

呪いがあなたの人生の足を引っ張り、邪魔をする

あなたは自分が、男性だから、女性だからという理由で何かを戸惑ったりすることはないだろうか?僕は甘いもの大好きだが、男だからという理由でスイーツバイキングに飛び込むのを尻込みしている。

これも呪いの一つだ。誰かから言われたり、自分が属しているグループがそういった空気を持っているとその影響を受けて、こういう考えができあがる。上で挙げた理由は極端だが、誰もが持つものだ。

自分の力を縛り付けてしまう

学生時代に「自分はバカだから」が口癖の友人がいた。最初は謙遜しているのだと思っていた。じっさいに一緒に遊んだり、話していてもそんなふうに感じることはなかった。

一度、気になって聞いてみたら、親から成績が悪いことをきつく言われるみたいで、その際にバカという言葉を言われてるということだった。

僕よりも成績の良かった彼がそんなことを親から言われてると知って複雑な気持ちになったのをよく覚えている。

さて、彼のように自分のことを親からバカだといわれ、自分でもバカだからと言っていると、自分を限定してしまい、何事にもバカだから無理だろうと考えるようになる。実際に、この友人は実力的には余裕だったはずの大学にも落ちてしまう。言い訳は書かなくてもわかると思う。

このように呪いで自分を限定してしまうと自分が持つ本来の力を発揮できなくなる。

人と上手く付き合えない

先ほど書いたように、この仕組みは何度も使ううちに強化されていく。ずっと使ってきた考え方は自分にとって正しいものになる。思っていたものが信じているものに変わる。

自分が信じている考え方と違う意見を持つ人が現れた時に、自分が間違っているかもしれないと思うことは難しい。

その時に相手があなたを説得しようとしたり、自分が相手を説得しようとしてもうまくいかないだろう。

アイデアが生まれない

この信じていることは自由な発想も邪魔するようになる。

「そろそろ電車も空を飛んでいいんじゃね?」

こんなことを言うと即座に否定する人がいる。ありえない、物理的にうんぬん。

でも頭の中で考える時に物理法則なんて関係ない。頭の中で実際に電車を空に浮かべることはいくらでもできるし、そこから様々な空想をしていくうちに生まれるアイデアもある。アイデアなんて頭の中で好きに組み合わせてるうちにポコっと湧いてくるもの。

自分がアイデアを縛るだけならまだしも、否定から入る人になってしまうと、周りの人の自由な発想も潰してしまう。

いいアイデアを上司に伝えたら、あっさり却下されて悔しい思いをした人もいるはずだ、上司には過去の経験からできた思いがあっても、状況が違うかもしれないし、取り組み方が変われば成功があるかもしれない。そんな可能性を摘み取ってしまうことにもなる。

呪いを解く方法

呪いに気づくには、不安や不快を感じた時がチャンスである。

何か新しい情報に触れた時、不安に感じるのは自分の中にある考え方が不安を生み出していることが多い。

例えば、初対面の人に会うことに不安を感じる人は多い。これは今までに初対面の人と会った時の経験が失敗として記録されているから、今回も失敗するかもという予測をして不安になる。

人と考えがぶつかった時、自分の正しさを否定されたような気持ちになって不快に感じるだろう。意見が分かれた時には自分の中に考え方があってそれがその人の考え方と違っているだけ。

人のアイデアを聞いて、否定の気持ちが出た時は自分の考え方がアイデアを間違っていると思って不快だったり、もしかするとそっちが正しいのかもしれないと不安を感じている時だ。

こういった不快や不安を感じた時、なぜ自分が不安や不快の元になった考え方を持っているのかを掘り返していく。

自分がその考え方を持ったのは何故か?いつからそう言う考え方を持っていたのか?誰かから言われたこと?そう言う環境にいたか?を考えてみる。

そして一番大事なのはその考え方が今の環境や生き方にマッチしているものか?もし違うと思ったらその考え方を治すチャンスである。

ここで自分の考えをアップデートすることでいろんな人の考えを受け入れたり、自分を限定していたものから解き放たれることができるようになる。

これも成長の一つの形である。

指示や説明がいい加減な人

ども、レゴで説明どうりに作ったのに別のものが出来上がってしまうぐぐーるです。

指示がわかりにくいひとっていますよね。僕はよく言われます。でも、僕も「このひと何言ってるんだろう?」と感じることもあります。

これについて考えてみました。

言葉を使って指示をするのに伝わらない人たち

僕は「指示や説明がわかりづらい」とよく言われました。自分なりに考えた結果、この原因は言葉を組み立てて相手にわかりやすく伝えようとする気持ちが全く無かったんですね。

相手が読解能力が高い人だと、つまり、こうで、こうで、こうすればいいですか?みたいに聞いてくれるので、そうそう!となって良く助けていただきました。

次に僕がわかりづらいと感じた人に多かったのは抽象的な言葉が多くて、こちらの知らない言葉を使ってくる。だから言葉一つ一つについて質問して、こちら側で何が言いたいのかを探さないといけない。

ひとの記憶は一つ一つが塊として記憶されている。自分でそれを使うときには意識することはないが、そのままでも使うことができるし、部分的に取り出して使うこともできる。ところが、これを人に説明するときには相手の分かるレベルにまで細かくする必要がある。

教師と専門家が似た知識を持っていてもその使い道が違うことに似ている。専門家はその知識を使って、新たな問題を解くことを求められているが、教師はその知識を分解して、生徒にわかる形で組み立てて伝えることが目的。

仕事を進める上で得た知識をまとまった塊として扱いやすくすることで効率が上がる。それを解きほぐして人に伝えるのは実はなかなかに高度な作業だ。

人に説明するには二つのプロセスがある。一つは自分の知ってることを相手の知識に合わせて分解する。もう一つは分解したものを言葉にして、文として組み立てること。

普段から人と接して、グループで動く人どうしであれば、ある程度、共有している知識があるので伝えるのに苦労はないが、一人で仕事を進めてる人が知識の共有がない人に伝えるのは骨が折れるか、伝わらない指示をするかになる。

つまり、指示や説明が下手くそな人は自分の知識や考えをひとのレベルに合わせて分解するのが下手、分解できてもそれを言葉にして出すのが下手。ということです。

んじゃどうしよう

ご自身でも努力してくれることが大事ではあるけど、毎度わかりにくいことを言われてたのではこっちも仕事が進まない。

これは対話で解決するのが一番良いと思う

分解が苦手なひとには対話で分解を手伝って、うまく言葉を引っ張り出す。

言葉を組み立てるのが苦手なひとならば、僕を支えてくれたひとのように相手の言葉を並び替えて、順序良く確認していけばよい。

なんで、こっちが手間をかけないといけないのかと思うかもしれないが、でたらめな指示でやり直しや責任を問われたりするのは結局自分。それにこれをすることで、手に入るものもある。

指示下手のおかげで手に入るもの

まず、相手のことを考えてコミュニケーションをする練習ができる。コミュニケーションは相手のことを理解するのが目的、こちらは相手の言うことを理解しないと仕事にならないので、それを動機にすればメリットは大きい。

次に人は何かが分かると嬉しい。自分の中でモヤモヤしてるものをはっきりさせてくれる人は確実に好意を持たれるだろう。

みっつめに、好かれるということは相手をある程度コントロールしやすくすることでもある。好かれている相手とそうでない相手に自分の要求を飲ませたいとき、どちらがやりやすいかは言うまでもない。

まとめ

面倒が多いけど、相手のことを想像しながら相手の言いたいことを見つけていける力というのは大事ですし、自分が説明や指示をする側になったときにも役に立ちます。そういったことができる人は必ず重宝される存在になるので面倒な人と突き放さずにいろいろ手を打って見るといいかもしれません。

僕は自分の翻訳をしてくれた彼には多大な感謝をしています。

ただ、これからAIが普及してくると人と人の間にAIが入って翻訳してくれる未来なんてのもあり得るんじゃないかと思ってます。

ゲームの話 地獄のタイムアタック生活

ども、ぐぐーるです。

僕もファミコン誕生の時期を見守った一人として真っ当にゲームにはまりました。とはいえ中学になるまで我が家ではゲームを買ってもらえなかったのでもっぱらファミコンのある家、目的は友人ではなくファミコン。だからファミコンをもってる子と友人になりました。

中学生になり、スーパーファミコンを手に入れると生活が一変。帰宅、ゲーム、飯、ゲーム。親から寝ろと言われて消灯し、親が寝静まるのを待ってからまたゲーム。

そんな中でハマったゲームたちの思い出を少し。

マリオカート、今もシリーズが続く名作。これのスーパーファミコン版のマリオサーキット?のタイムアタック。

ある日ゲーム仲間の一人がこのコースでタイムを話題にした。次の日には誰かがタイムを更新したと報告。こうして地獄のシグナルが青になる。毎朝の報告会、俺こそがナンバーワンとばかりに記録を持ち込む。コンマ数秒の差で勝ったり負けたり。勝ったやつはその日の王者である。

最初のうちは楽しかった。どのマシンが一番タイムが出るのかを話し合ったり、誰かが一気にタイムを詰めると新しいラインどりについての意見交換が行われたりする。

しかしタイムアタックというのはいつか限界にたどり着く、ゲームのシステム的にこれ以上は出ないというところに。ほぼ頭打ちのタイム、その差はコンマゼロいくつとかそういう世界。

こうなってくるとラインどりから何からワンミスでやり直すようになる。初期のマリカーはジャンプからドリフトに入ることができるのだが、このジャンプのタイミング一つミスすることができない。表示されるゴーストに一ミリでも遅れたらリスタート。

1時間やって完走できるのが2〜3本。それでも勝てるタイムが出せない。やればやるほど集中力は落ちてくる。そこで休めばいいのだが休めない。

ずるずるとゲームを続けるうちに、新聞配達のバイクの音が聞こえる、小鳥のさえずりも聞こえる、朝日が夜空を押しのける音すら聞こえる。それで慌てて布団に潜り込む生活は二ヶ月くらい続いた。

こんなんで授業中に起きていられるわけがない、どの先生の声も子守唄にしか聞こえない。もちろん夢の中でもコースを攻めている。ラインどりをミスってドカンにぶつかったところで、突然、飛び上がった俺。そんな俺を見る驚きとあざ笑うような眼。

そんな状態だ、タイムの数字は全く下がらないのに、成績はグイグイ下がった。

結局、一銭の得にもならない、それどころか学生生活を破壊し始めたタイムアタックに耐えられなくなったメンバーが脱落していき、マリカー地獄にチェッカーフラッグが振られた。

書いていて思ったことがあります。僕の人生を最初にコースアウトさせたのはマリオカートです。

任天堂許すまじ(ちげーよ)

ひとを無能という人は自分も無能であることにきづいてない

ども、ぐぐーるです。もう四十年も生きてきたのでいろんなことを見た。その中から「あ〜それちがうんだよなぁ〜」なんて思うことを言葉にして見る。

ひとを無能と呼ぶ人が無能

友人や知り合いの話を聞いたり、ネットなんか見てると、仕事のできない人についての話題がある。

仕事ができない人を使えないといったり、無能と呼んで蔑んでるのを見ていると、心がチクチクしてくる。

それは自分がどちらの立場もわかるから。

以前は自分もできない人を使えないと思っていた。少し前に仕事が楽しくてたまらなかったという話を書いた。

ここは派遣会社なのでメインメンバー以外は結構ひとの入れ替わりもあって新しい人とも仕事をする機会があった。

そういった人たちの中には仕事が遅かったり、こっちが言ったとうりにできない人たちもいて、なんでできないんだろ?簡単なことなのに、なんて思っていた。

自分も無能であることに気づく出来事

んで、この後いろいろあって、自分一人で別の現場に行くことになった。そこは業務的には同じような仕事だったのだけど、やり方が全く違っていて、すごく非効率なやり方だと感じた。

今まで自分が覚えてきたようなスキルが一つも生かせないし、改善も許されない。なんとか合わせようと努力して仕事をしていたが、職場環境も悪く、その場にいない人間の悪口しか話題がない。そんな職場だった。新しく入ったばっかりで仕事もロクにできないくせにやり方にケチをつけてる自分は格好の標的だっただろう。

前例踏襲の非効率さを変えようともせず、ひとの悪口を言ってる人たちと働いてることに嫌気がさして三ヶ月でやめた。

しかし、この職場を経験して、できないやつという悪意を向けられることの辛さと自分が合わない職場がある、ということを学んだ。

根っこにあるのは不安や不快である

それからはうまく仕事ができてない人と一緒になったら、じっくり観察して、なぜ上手くいかないのかを考えるようになった。そこからわかったことを大きく分けると、みっつに分類できる。

ひとつめは練習が足りてない。世の中にはなんでもすぐに覚えて自分のものにできる人もいる。その反対に覚えるのに時間がかかる人もいる。

ふたつめは、その人が持ってるスキルが配属された部署や現場で行うこととかみ合っていない。クルマの塗装を磨く仕事をしていたときに一緒になった経験者がこれで苦しんでいた。社長がその人がほかで学んできたやり方を一切許さなかったからだ。

最後に、ひとがあわない。部署や現場の人間関係が合わない。先ほどの職場の話では互いに不信感を持ってしまったことで仕事に影響が出てしまい、最終的に退職することになった。

こういった状況では自分がうまくできておらず、周りからどう思われるか不安になる。使えないなんて噂されているんじゃないかと勝手に妄想して自分を追い詰めてしまうこともある。

こうした不安や不快に包まれていると人は本来の能力を発揮することがむずかしくなる。

こういったことを「あいつは使えない」と言う前に考えて欲しい。その一言や思いが相手の能力を押さえつけてしまうこともあるから。

それぞれに抱えている仕事があり直接、関わっていけるかというのは難しい部分があると思う。

だけど、少なくともこういった理由を知っていれば、その人の不安や不快を薄めてあげられる人になれるかもしれない。

みんなで働きやすい職場をつくる、そういう意識が広がっていくといいなぁ、と思って書きました。

痛かったら手を上げてくださいね

歯の健康には気を使ってますか?僕は治療中でも痛みがなくなるとサボります。みなさんもそうですよね。そうだと言って下さい。

でもサボりは駄目です。治療中をほったらかしにして入院したのはボクです。

歯医者のお話です。

歯医者さんにいって治療をしてもらっているときに

処置が痛いかもしれないことを匂わせたうえで

こう言ってくることがあります。

「痛かったら手を上げてくださいね」

これを聞いてあなたはどう受け取りますか?

痛かったら知らせれば一度治療を止めてくれるのだろう、そう思いますよね。

お医者が楽しそうにドリルをセットして、楽しそうにこちらに振り返ります。楽しくない患者が大きく口を開けさせられて、工事開始。

高周波のドリル音だけでもう痛い。しかし、まだ我慢だ。

ドリルが歯に当たる。液体がしみる。ちょっと痛い気もする。これも我慢する。

ここでふと考える。はたしてどの程度で痛いと言っていいのか?他の人はどの程度まで我慢するのか?

楽しそうな医者などもう見えない。核心に迫ってきた。もっと痛くなるのか?ビクビクしながらも、我慢。できない手を上げる。

しかし、ドリルは止まらない。

「あーここ、やっぱり痛いですよね〜」

「もう少しですからね〜」

止める気がないなら誤解を生むようなことは言わないでくれ。気休めではないか。

しかしだ。この時になって気づくのだ。確かに手を上げろとは言われたが、治療を止めるとは言われていないことに。

やぶれかぶれになって、医者の手を掴んで後ろ手に捻り上げるという方法もある、が、間違いなく院外へ叩き出されるのでやめたほうが良いですよ。

基本、お医者は思春期に勉強をしすぎたせいで性格がねじ曲がっている。ねじれた上に曲がっているのだから半端ではない。そして、こういった残虐な遊びに興じるのだ。よくよく考えてみれば、こんな特殊な状況はなかなかない、相手に抵抗を許さず一方的に痛めつけ蹂躙できるのだ。あああああああああああああああっ恐ろしい。

もうこうなったら諦めて「痛みに耐えて頑張る」しかない。

そうすればお医者様も褒めてくれるだろう。

「痛みに耐えてよく頑張った!感動した」と

そしてもう一言

「よくお口ゆすいでくださいね〜」

ここで一段落したのだ、あとはクスリをつけたり、型をとったりあまり痛くないはずだ。

ところが診察台が傾くとお医者は別の削る機械に何かを取り付けている。期待がはかなく高周波を発するドリルの回転音に削り取られていく。もう諦めるしかない。そう耐えきるしかないのだ。耐えて耐えてお医者に褒めてもらうまでがんばるのだ。

歯医者ガチ勢 ぐぐーる

こころから楽しいと思えた仕事。思い出して見て気づいたこと

ども、高校時代のバイト代はほとんどバイクにつぎ込んでしまったぐぐーるです。

そんな高校時代のバイトはお金が欲しいだけだったけど、いろんな年代の人と仕事をとおして関われることは楽しかったし、とても良い経験になった。

さて遊びまくった高校生活もあっという間に三年生となり、進学するか、就職するか?という選択に迫られた。といっても就職は氷河期真っ只中、大学は成績的に厳しそうという状況ゆえに、あっさり専門学校へいくも半年でドロップアウト。フリーターとしてバイトを掛け持ちしながらフラフラしてました。

そんな中、バイト時代の友人に食品倉庫の商品管理の仕事を紹介されます。この倉庫にもともと入っていた派遣会社が撤退するということで人の入れ替え段階だったこともあってすんなりと仕事にありつきます。ここでの仕事がとても楽しかったというお話。

まず、ボスが素晴らしい人だった。ある程度、仕事の流れを覚えた自分に、一つのエリアを任せてくれたうえに、改善したい部分があればドンドンいってねと言われた。

もともと入っていた派遣会社は港湾系の会社で、委託業務でもフォークリフトでの入出庫がメインの会社。食品のピッキング作業なんかはあまりやっていないところだったのでかなり効率の悪いやり方のまま業務を行なっていた。

そこで効率の悪い部分を洗い出して、上司に渡したら、全部任せるから好きにやっていいよのお言葉。

ほとんど経験のない自分によく任せたもんだと思いますが、もともとがひどい状態だったので、ちょっとしたことでも効率が目に見えて変わって行く。

作業によっては三人でやってた仕事が一人で終わるようになったものもあったし、八人で回してた作業が実は五人くらいで回せるようになったり。

委託元から効率化を驚かれて、上司が賞賛されてたのが嬉しかったのを今でも覚えています。そして新規の業務なんかも任せてもらって、一から仕組みを作り上げるのもとても楽しかった。

ところが、そんな仕事の楽しさも安定期に入ってくると日々の業務をこなすだけになってくる。だんだん仕事の行き詰まりを感じるようになってしまい。簡単にいうと飽きてた。

現場がよくなったことは良いことばかりではなかった。今までは問題にならなかったが現場の作業スピードが上がったせいで、事務の無駄が見えるようになってしまった。事務さんと話を進めていくと、最大のネックはシステム的な問題で事務方さんも手を出せない。

自分に手を出せない領域が増えていって、それで少しづつ仕事がつまらなくなっていったんですね。

給料面でも評価されて、バイトにしてはかなりいい金額をもらっていたので、楽しさは薄れたけど、仲間もいる。転職したからって新しい職場が今までのような楽しさがあるかもわからない。

そんな気持ちでゆるい諦めの気持ちと居心地のよさに浸っていたら、倉庫の移転の話が持ち上がってこの現場はあっさりと無くなってしまいました。

移転先へ移ってくれと言われて移ったのですがそれはまた別の機会に書こうと思います。

思い出して書き出して見ると、実は視点を変えてみればもっとできることはあったと思う。人に関する部分や書類的な部分でもまだまだ改善できる余地はたくさんあった。

作業ばかりに目を向けていたせいで全体を見ることができていなかった。飽きたっていうのは視点が固定化されてしまってるときなんだろうな、と書いていて気づきました。