ぐぐーる

あなたらしい楽しさと幸せを

埋め尽くしたい

皿を埋め尽くしたい。上等な料理みたいにデザインされた余白は要らない。

テーブルを埋め尽くしたい。一品づつ食べては片付け?いいから全部もってきてよ。

胃袋を埋め尽くしたい。色とりどりの料理を、匂いを嗅いで、舌で味わって。

嬉しそうな子供の顔、それをみてる嫁の顔。こころが埋め尽くされたわ。

おかげで財布は空っぽ。明日からまた頑張ろう。

pythonで色々する 備忘録

ども、パイソニスタ (になりたい) ぐぐーるです。

ブログを書いてると、あれをしたい、これをしたいとアイデアが湧いてきて、やっぱプログラム作って色々やりたくなる。

んでそっちに盛り上がりだすと、今度はブログが書けなくなる。不器用。

ブログが書けなくなる原因はプログラムを書くのに時間がかかりすぎる問題。いや、まともに動くまでに時間がかかるだな。コードに関しては時間を決めて作業をして、少しずつ進めていくようにする。では再開。

まず、この間、パソコンを初期化してしまったので環境を再度つくる。

Homebrew から python3 をインストール

$ brew install python3

仮想環境を構築

python3 -m venv htblstars

仮想環境を活性化?と不活性化?

. htblstars/bin/activate deactivate

仮想環境にモジュール追加と pip の upgrade

pip install requests

pip install --upgrade pip

コードの修正

以前書いてとりあえず動いたやつを修正。作ってるのははてなブログで読者登録の多い人をリスト化して、RSSフィードからエントリーを取得して、記事につけられたスターをつけたユーザーの数を数えて、リンクと数をHTMLで吐き出す。

3系に対応する部分で直したのは Print くらいかな

今日はここまで

とりあえずこれで一週間くらい動かしてみる。

その間にやること

  • htmlへの広告埋め込み方法を考える
  • 専用のブログを作る

この先やりたいこと

  • ブログを追加するときのチェック用に一件ごとの確認用のコードを作っておきたい
  • htmlとは別にCSVも吐き出せるようにする
  • VPS?レンサバ、などで自動化したい
  • githubでコードを管理したい

ほかにもフレームワークとか自然言語解析とかラズパイとか楽しそうなものがいっぱいあって困る。コードもブログも定形な作業部分をこうりつかしていかないとなぁ。

アルコールは全ての人間を終わらせる

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ども、多分もう半年以上酒を飲めてない、ぐぐーるです。

こんなツイートを見かけて、なんだかなぁと思ったのでちょこっと。

自分は居酒屋で働いていたことがあって、居酒屋といっても、ほとんどスナックみたいな店で二年くらい働いていた。

その店は客層があまりよくなくて、他の店で出禁にされてるようなお客さんも多かった。

売上がないから受け入れるんだけど、そのせいで雰囲気が悪くなるから、普通のお客さんが来てくれなくなる。それで売上が伸びない。

なので酒癖が悪いお客さんが多くて、たぶん、6から7割位は依存症のひとだったとおもう。

そんな人たちを、ずっと見てきてわかったことがあって、お酒はすべての人間をダメにする可能性があるってこと。

酔っ払うのは何故?

アルコールでなぜ酔うのか?というと、飲んだお酒は肝臓で分解される。

そのときに一度に分解しきれない分は血液中に流れる。

血液中のアルコールが脳に到達すると少しずつ脳を麻痺させていく。

まず、自制心で人とのつながりを大事にする部分から麻痺していく。次に自我と呼ばれる部分。最後に本能を司る部分。

酔って気持ちが良くなるのは、脳の自制心を司る部分がアルコールによって麻痺することで、自分らしく振る舞えるようになるから。

さらに酔いが進むと自制心がとても弱くなり、自分勝手に振る舞うようになる。性欲を抑えられなくて、やらかしてしまうひとが多くなるのもこのため。

続いて自我の部分が麻痺し始めると、突然感情をむき出しにするようになり、突然泣き出したり、怒り出したりするようになる。

最後に本能が麻痺するくらいになると歩行が困難になり、昏睡に陥ったり、便を漏らしたり、最悪、死に至ることもある。

酔っぱらいの段階をまとめるとこんなかんじ

  • 自分らしくなれる → 周りも楽しい
  • 自分勝手になれる → 楽しい or 迷惑(信頼関係次第)
  • 自分をコントロールできなくなる → 迷惑
  • 自分を見失う → ほぼ人間ではなくなる(超迷惑)

誰でも自分を見失う可能性はある

体が耐えられる人は脳が麻痺してほぼ人間でなくなる最終段階まで飲める。大抵の人はそれまでに気持ちが悪くなったり、頭が痛くなったり、または眠くなったりして、それ以上お酒が飲めない状態になる。

しかし、そういった体の症状が出にくいひとは、脳がドンドン麻痺して気持ちがよくなるのでブレーキが効かなくなってお酒を飲みすぎてしまう。

つまり、元々の性格の問題ではなく、体の性質でそこまで飲めてしまうということです。

だからといって、お酒を飲んで問題を起こしたり、周りに迷惑をかけてしまうのは絶対に駄目。

アドバイス的な

自分も最初は、人が豹変してしまうのを見て、とても驚いた。普段から人とは少し距離をおいているので驚く程度だったのですが、仲の良い人や近親者などがそんな状態になってしまったらショックを受けるかもしれません。

その時はもうその人がお酒のせいで崩れ始めていて、半分動物になってしまってると考えると受け止めやすいと思います。周りの人がショックを受けて傷ついたり、相手の状態を真に受けてしまって、修復不可能なほど仲が悪くなった人たちもたくさん見たので、受け止め方の参考程度に。

おさんぽわんこのきもち

お散歩してるわんこを見た。

ふと目が行ったのはなんだか違って見えたんだよね。

わんこのお散歩って

「くんくん。あっ。わんこの匂いする。どっちだろう。くんくん、こっちかな?」 「くんくん、お花の匂いもするよ」「くんくん、くんくん」

とにかくいろんな匂いをかぎ分けて、突き止めようとして、飼い主を引っ張り回すイメージ。

もしくは飼い主にまとわりついて

「ねぇねぇご主人様遊ぼう!」 「僕、ご主人様とのお散歩大好き!」 「早くボール遊びしよ」

っていうのが僕の中でのわんこのお散歩。

でも、そのわんこは引っ張るでもなく、

まとわりつくでもなく付かず離れずの距離で

飼い主の後ろをトコトコと歩いていて、鼻をヒクヒクして匂いは感じているんだけど、すぐに飼い主に意識を戻しているように見えて。

それが怯えているように見えたんだよね。

実家にいた頃に飼っていた犬たちはお散歩はすごく喜んでたし、楽しそうだった。

匂いめがけてフルパワーでグイグイいくハスキー。あっちでクンクンこっちでクンクン、も一回とばかりに戻ってクンクンするシェルティ。匂いなんかそっちのけで犬たちの集まる公園にまっしぐらのマルチーズ。雨が降ってるとすぐに家に戻りたがるミニチュアダックス。

性格に違いはあるけど、正直、どの犬も外に出れた喜びなのか、お散歩に付き合うこっちの都合は完全に無視。ひとをひきずり回してどんどん散歩のコースを外れていく。そんなことがよくあった。

なだけに、そのわんこが気にかかった。

そんなワンコを気にもかけずに、飼い主はスタスタと歩いていく。ワンコもリードが張ってしまうギリギリくらいのところをトコトコとついていく。しっぽをおしりにぺったりとくっつけたまま、角を曲がっていった。

おうちに帰って、ほかの家族からたくさん愛されてるといいなぁ。

エレベーター。待つべきか待たぬべきか問題

ども、ぐぐーるです。

僕は普段、ドライバーの仕事をしている。ドライバーと言ってもレーサーとか格好いいものではない。小さなトラックでお店を回って食料品を配送している。昔から車の運転は好きだったので、仕事のお誘いを受けたときはいいかなと思ったけど、そうでもなかった。

今日はドライバーの仕事につきまとうジレンマについてひとつ書いてみる。

あるビルのエレベーターがとにかく遅い。十階ほどの雑居ビルに入っているお店なんだけど、このエレベーターのせいで、とにかく時間がかかる。エレベーター自体の動きが遅いのもあるが、それよりも六階から十階まではエステやヘアサロンなどが入っているのが問題だ。もちろん僕的に問題であって、このエステやヘアサロンにはなんの問題もない。

トラックを店のそばに止める。この建物の前は駐車禁止の取締をよくやっているので五分以内に戻りたい。荷台で荷物を揃えて、まず取締のおじさんたちがいないか通りを見渡す。

おじさんたちの姿が見えないことを確認したら、建物の入口から通路を通ってエレベーターに向かう。入り口からエレベーターが見えるんだけど、この時点でエレベータを待ってる人がいるとがっかりする。時間がかかるのが確定するからだ。

そんなことをいっても仕方ないので待つ、やっぱり降りて来ない。雑居ビルに多いんだけど、待っているときに今、何階にいるのかが表示されないエレベーターって何なんだろうか、近くまで来ると点滅するランプのみ。コストダウンなのか知らないけど、お客さんはストレス溜まっちゃうと思うよ!とか自分の気持を客に代弁させておく。

そして、その間にも後ろから人がやってくる。おまたせランプが点滅して、やっと降りてきたエレベーターに乗り込んで二階、四階、五階とボタンを押す。待たされたストレスと「えっ?何ひとりで3フロアも押してんの?」という不快をまとった視線を感じながら、こころの中で「仕事だからしょうが無いじゃん」と言い訳をする。

各フロアにつくと、エレベーターからは降りずに、エレベーターの外にさっとおいてすぐに閉めるを押す。五階の荷物を置く。もしここで誰も乗っていなくて、上の階からも呼ばれてなければ、手をパタパタさせちゃうくらいには、幸せな気持ちになれるのに。

このエレベーターはドアが閉まるまでも遅い。上の階に行って、ひとが降りた後、誰も乗らないとドアが開いてる時間がもったいない。さらにエステやサロンというのはエレベーター挨拶儀式のためにドアを開けっ放しにすることが多い。客の会計に合わして、先にエレベーターを呼んでおく。もし先にエレベーターが来てしまった場合はそのまま別のスタッフがボタンを押しっぱなしで開けっ放しにする。だから上までお付き合いする。これで開けっ放しにすることを阻止できる

余裕の時間があるならこんなカリカリしたことはしたくない。しかし、駐車違反をやられたら自腹で反則金を払わなければならない。一日分くらいの給料は吹っ飛ぶのだ。絶対に切らせない。絶対負けられない戦いがここにはある。

だから、ここのエレベーターだけは絶対に待たない。エレベーターに乗り込んだときに、通りから人が入ってきても絶対にふりむかない。

駐車禁止の取締が悪いのだ、いや、あの取締を決めた警察が悪いのだ、いや警察に指示をした政治家が悪いのだ、いや、そんな政治家に投票したあなたが悪い。

なんてことを思いながら、なぜか開くボタンを押してる俺。

続・家族の揉め事「いえばわかる」の誤解

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ども、ぐぐーるです。

昨日の記事を読んでいて、足りないと感じた部分と思いついた事があるので続きです。

gghoul.hatenablog.com

まず、経験則ってわかりにくい言葉だった。

経験則っていうのは経験を通して作られた考え方ややり方のことで、「何となく分かる」っていうのがわかり易い。

例えば、家の中にいて、いきなり電気が消える。停電だ。そんな時でも自分がいた位置から家具の場所がだいたいわかる。手探りで少し手を伸ばしたらテーブルのふちに手が触れる。そのふちを触りながら、なぞるように進むとドアにたどり着く。ドアを開いて廊下の壁に触れながら、ゆっくり進んで、そろそろかな、というところでつま先が玄関のへりに当たる。下駄箱の上を手で探ってライトに手が触れる。こういうことは、ある程度、住んだ家ならみんな出来ると思う。

毎日、同じ家で過ごすことで、家具や部屋の配置を記憶している。だから電気が消えても何となく分かる。

これは繰り返しによるもので、これが作業になると繰り返すうちに手順をおぼえて習慣化される。さらに繰り返す中で無駄な作業をまとめたり、やりにくい部分をやりやすくする工夫がされる。

ところが、作業は減って効率化されるが説明は増えてしまう。

「何となく分かる」を言葉にするのは大変

洗濯物を干す作業を例にしてみる。

洗濯機から洗ったものをかごに取り出す。この時点で竿に干すもの、ハンガーを使うもの、洗濯ばさみがいっぱいついてるやつに干すもの、の順番でかごに入れていく。

ベランダのそばまで、カゴとハンガー一式を運ぶ。洗濯ばさみがいっぱいのやつに靴下やらパンツなんかを挟んでいく。靴下は隣り合わせて、パンツは一列になるように。次にハンガーに干すシャツなんかをハンガーに通して重ねておく。竿に干すものを竿にかけて、ハンガーにかけるものをまとめて掴んで、竿に引っ掛ける。最後に洗濯バサミいっぱいのやつを竿にかける。ハンガーをなるべく間隔が均等になるように調節する。

文にするとこうなる。もともとは「洗濯物を干す」という簡単な文だった。それが経験から学んだことを活かして、作業を効率化すると、説明するための言葉はこれだけ増える。これでも細かい部分は省いた。

これが「何となく分かる」を言葉にするのが大変だということ。

さて、これを洗濯機に放り込んで、スイッチを押して、ブザーがなったら、取り出して干す。くらいの感覚のひとに説明しても、すぐに出来るようにはならない。その人の洗濯に対するやり方が全部洗濯ばさみいっぱいのやつに挟んで干すだったら、ハンガーを使う理由を説明を加えないといけないかもしれない。

では洗濯をほとんどしたことがない人に説明するとなったら、もっと大変になる。

自分の当たり前はひとにとってはそうではない

例としてあげた、洗濯のやり方は僕にとっては当たり前だし、簡単になっている。それは何度も繰り返したことで習慣になっているから。

日本人は毎食後、歯磨きをする。これを歯磨きをする文化がない国のひとに説明することを考えてみるとわかるとおもう。自分にとって簡単でも、その習慣がない人に伝えるのはとても大変だ。

自分で作り上げた良いやり方をちゃんと伝えるには自分にとって当たり前になったことを言葉にしないといけないのだが、それはとても手間のかかる作業で、それをすっ飛ばしたコミュニケーションはうまくいかない。

ワカラナイに寄り添う方法

じゃあ「言えばわかる」問題は解決しないのか?の一つの答えを思いついた。

オン・ザ・ジョブ・トレーニングって聞いたことあるかな。これは新人に仕事を教えるときに熟練者が一緒に実際の業務に立ち会いながら教えていく方法である。

これを夫婦でやれば良い。洗濯物を一緒にしながら、これはこうする、これはこうして欲しい。といったことを一緒に行う。教えるひとは手順を進めながら、その時点での注意したいことを説明していける。教えられる側も手を動かしながら教わることで手続き記憶になり覚えやすい。わからないことをその場で聞くことも出来る。さらに一緒にやることで共通の記憶が出来ているので後から話をする時も話が伝わりやすい。また、作業の区切りを伝えておけば、どこからどこまでを手伝ってほしいのか、任せたいのかという指示も明確にできるようになる。

言葉によるコミュニケーションが下手くそな我々がもっとも簡単に解決出来る方法だと思う。

そんな時間ないよって?一度やれば、その先の多くの作業の無駄と喧嘩に費やす時間をへらせるのに?

ただ、一緒にやるときに注意すべきことがある。教える側も教えられる側も一切の否定、批判を捨てること。

一緒にやることのメリットはもう一つある。教える側は相手の出来ないこと、わかりづらいと感じていることを知ることができる。教わる側は相手が物事を説明するのにどんな言葉を使うのかを知ることが出来る。互いを知るのにとてもいい方法だと思う。

とまあ、こんなことを思いつきました。もしよかったら二人の時間を楽しむくらいの気持ちで試してみてはいかがでしょうか。

家族の揉め事「いえばわかる」の誤解

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ども、ぐぐーるっす。

よく聞く話だと思うんだけど、「いえばわかる」って思ってるひとがすごく多い。うちの奥様が子供を叱っていて、よく聞いた言葉は「何度言えばわかるの?」

残念ながらひとは言ってもわからない。

言葉なんておなら

ヒトが普段なにげなく話している言葉なんて、ほとんどがおならみたいなもの。心からでたガスが言葉になって口から出て来るにすぎない。伝わってるとしたら匂いくらいだろう。

だいぶ前だけど、ひとは見た目が9割なんて本が流行った。この本の言ってることは言葉よりも身振り手振りや態度などが重要だっていうもので、つまり言葉なんてあまり意味を伝えてないという話。

いやいや、とお怒りの人もいるかもしれないので実例を見せる。次の文を読んで欲しい。

それにまたがり、鍵をひねり、アクセルを開ける。アクセル、ブレーキ、バランスを併用してはしり、交通状況を見て安全を確保しながら、目的地を目指す。

「いえばわかる」だけじゃだめだよね

この文章はバイクの乗り方を書いたものだ。バイクに乗ったことのある人はわかったと思うし、出来る。しかし、アクセルやブレーキ、などの言葉を知らない人にはこれはわからない。アクセルやブレーキについて説明して、わかったとしてもバイクに乗れるようにはならない。

さらに、「交通状況を見て安全を確保しながら」には多くの経験則が含まれていて言語化するのが難しい。

家事にもこういった経験則は多く含まれる。だから「いえばわかる」だったとしても出来るようにはならないのだ。ここが大きな誤解である。

さらに、家事の経験則というのは各家庭によって違いがあって、例えば育った家庭の当たり前は全く違うことも珍しくない。こういった前提を無視して「いえばわかる」は通用しない。

まとめ

  • 前提知識がないとわからない
  • 経験則を言葉にするのは難しい

今日は取り急ぎこのへんで。