ぐぐーる

あなたらしい楽しさと幸せを

スタバに入れない

東京と横浜にはさまれた工業系の田舎町、川崎で生まれ育ちました。いまは東京で暮らしています。

学生時代をよく渋谷で遊んでいたので自分では都会の子という愚かな勘違いを抱えていました。おしゃれ頑張ってるやつは田舎者、都会の人間はもっとスマートくらいの鼻の高さはあったと思います。

ところがハタチを過ぎたころ、日本にスタバが襲来します。スタバはおじさんおばさん、そして営業マンの憩いの場だった喫茶店のイメージをカフェと言う名のほうきで掃き飛ばしました。

それまでカフェと呼べるものは代官山にしか存在を許されていませんでした。代官山にあるカフェ以外は、喫茶店にハリボテをかぶせただけのまがい物です。その代官山にあるカフェすらも軽く越えていったのがスタバです。

スタバは光り輝くオサレリア充のみ乾きを潤すことを許された聖なる地。当時、渋カジを引きずって裾がボロボロになったブーツカットジーンズに、これまたヨレヨレのリングブーツをこよなく愛していた僕の格好は彼女いわくボロカジ。店内に入るや引きずった裾で警報がなるんじゃないかと不安でたまりません。

でも入りたい、僕はあのソファにほぼ寝そべるように座りたかった、車に乗ると何故か寝そべるDQNのように寝そべりたかった。何度か店の前を訪れました。そこでゼンマイの壊れたロボットのように自動ドアの開かないギリギリまで進んでは下がり、進んでは下がりをくり返しました。完全に不審者。

スタバに入れなくとも都会の子と、自分に言い聞かせるように積んだ川原の石はポロポロ崩れます。そもそも都会の子ではあっても、リアから遠くはなれたところにいる人間であることに疑いはなく。都会の子でもなくリアでもない、そんな自分にはかなわない夢だと諦めかけていました。

さらに、追い打ちをかけるように呪文のような注文方式があると知りました。マクドナルドの対面距離ですら注文を聞き直されるような小声マンがそんな呪文を何度も聞き直されるなんてキツイ。

呪文は練習して効果を確認してはじめて実戦で使うものです。いきなり実戦で使って「えっ?」とか言われたら聞き取れなかったのか、それとも呪文が間違っていたのかわからなくなり、またゼンマイの壊れたロボットのようになってしまうでしょう。

落としたポッキーのように袋の中で砕けた僕の心を更に踏んづけて粉々にしていったのがMacBookです。スタバではダサいWinノートをカバンから出した時点で店のそこかしこから負のオーラが噴き出し、Winユーザーの足元にまとわりつきます。なんとかそれに耐えても僕にできるのはマインスイーパくらいです。そんなやつはMacBookのリンゴマークから発せられる光とオーナーのあざけるような生暖かい視線には耐えられずに引きつりながら飲むコーヒはどんな味がするのでしょう。

かくして、スタバにまだ一度もはいったことがありません。

もしこの先誰かに誘われでもしない限り、この先もスタバは日本にあっても異国の地、パスポートと言葉を持たない僕には入ることが出来ないのでしょう。

いいなぁ、あこがれるなぁ