テンション低いね。ノリが悪いなぁ。と言われ続けて、たどり着いた答え
タイトル通り、若い頃からずっと言われてきた。そのたびに期待に答えられなかったような気がして自分にがっかりする。そして、自分は出来ない人なんだと、心に刷り込んで、ますます出来なくなっていく。自己肯定感⤵⤵スパイラル。
社会人になるとダイレクトには求められないものの、求められるものは同じ。
この頃には自分はそういったことが出来ない人だと割り切るようにした。
最近、ふわっと思いつきがあり、答えが見えた気がするので書いておく。
彼らが欲するもの
テンション低いね、ノリが悪いね、を言う人たちは何を求めているの?
言葉だけを見れば、おとなしいね。つまらないね。って言われてると思ってた。
でも言葉の裏側にあるのは、もっと一緒になって楽しもうよ、おんなじ気持ちになろうぜ、だった。
つまり、共感したい。一緒に楽しみたい。
こんな簡単なことに気づくのに何年かかってんだろう。言葉を表面的に受けてしまうせいで苦しんでたのか…早く言ってよ感が溢れてくる。
合わせる必要はなかった、こっちに巻き込めばいい
まあ、気づいたところで、いきなりテンションを合わせられるひとにはなれません。なれるならとっくにやってる。でもポイントはわかった。
で、思ったのは彼らが作るテンションやノリ、に無理に合わせなくていい。
こちらが楽しんでそれに巻き込む事ができればいい。
共感したいなら、そっちが合わせてこい。
ハードル上げるぞ俺!!
俺のほうがおもしれーよ。
新しい自分らしい活動を始めた
最近、Twitterやはてなブックマークを使って、ほっこりバラマキ活動を始めた。 これはつぶやきやコメントを見てくれたひとをほっこりさせたいとおもって。(はてなブックマークは別のアカウントでやってます)
なんでこんなことを始めたかというと、中学生のころ、面白いことを考えるのが好きでCMのパロディや創作小話とか替え歌とかを作って友達に披露してた。教科書とか改変しまくって、笑って貰えたときはすごく嬉しかった。
こんなことをふと思い出して、自分が楽しめて、ひとも楽しんでもらえるなら、と思いやってみることにした。
あっ、もちろん学校の成績は良くなかったよ。だって教科書が笑いの教科書になってたから。先生にバレて、親にまで見せられたときはチョ~気まずかった、中学生が喜ぶ下ネタ満載だったからね。まだ親父で良かったよ、さすがに先生も気を使ってくれたのかな。
変わって、わかった
ホッコリのバラマキ活動をして、気づいたのは疲れやイライラした気持ちを感じていると物事をネガティブに捉えちゃうこと。物事に反発的な見方をしたり、感情的な反応をしてる。
この状態でいると、何故かわからないけど、面白いことが浮かんでこない。
この状態から抜け出せるようにしないとおもしろ活動ができない。と思い、いろいろ試して、効果があったと感じたのが、笑ったり、泣いたり。良い感情を感じること。
小さな子を見てかわいいとか、女性のファッションが素敵だなとか、風が気持ちいいとか、そんなことでいい。疲れているときは少しでも休憩する。
これで、少しおちついた気持ちになり、物事をよい目線で見ることができるようになる。
そうすると物事を良い目線で見れるので、なんでもないことも面白さを感じられるようになる。どんどん良い効果が生まれてくる。楽しさを生む発想ができるようになる。
そして、気づいた。テンションやノリの話はこの状態になろうぜ、ってことだったんじゃないかって。テンションを上げたり、ノリを合わせると、みんなに受け入れてもらう嬉しさで、この状態になりやすいのかもしれない。
っていうのが気づいた答え。人付き合いが始った小学生から数えると35年もかかってここにたどり着いた。ふぅ、長い道のりだったぜ。
もし、こういったことで悩んでるひとがいたら参考になるかなと思って書いたよ。