いま感じる、本を読むこと
ども、ぐぐーるっす。
あなたは本は読みますか?
僕は中高生の頃から小説を読んでた。お気に入りはスティーブン・キング。
小学生のころはお化けや幽霊が怖くて怖くてしかたなかった。ディズニーランドのホーンテッドマンションで目をつむってやり過ごすくらいのビビリ。
それがスティーブン・キングに出会って変わった。日常に入り込むホラーは幽霊よりも生々しい。それを味わうことでリアルでの怖さを薄れさせてくれたのかもしれない。
本に学ぶ。その始まり
30歳の頃、転機がくる。きっかけは会社でサイトの文章を考えなきゃいけなくなった。ところが、ぜんぜん書けなくて、ホントに驚いた。小学生みたいな文章しかかけない。たぶん今時の小学生のほうが素敵な文章を書くかもしれない。
それで確か、齋藤孝の文章術みたいな本を買ってきた。少し読んでは文章を書くを繰り返すうちに少しずつ文章も良くなって、楽しくなった。もっと書きたくなって、ブログを始めたのも、その頃。
ところがそのブログも三ヶ月くらいたった頃から、書くことがなくなってくる。どうしたら良いかと、本を読み歩くと、ある本で、インプットとアウトプットのバランスが出来てないと書けなくなる。と書いてあった。
それで、まずはとにかく読んで読んで読みまくろうと思って、本屋、ブックオフ、古書店、図書館に毎週、通った。
そこから10年、読んでるときは月に7〜8冊、少ないときで月に1〜2冊くらい読んで来た。その経験から学んだこと、今だからわかることなんかを書いてみる。
最初のうちは読み慣れよう
上にも書いたけど、とにかく大量に読んだ、選び方はタイトルを見て、気になったら目次をサラッと見て、って感じで選んだ。
そこから得られたこと。今になってわかることだけど、読み慣れる。ってことに尽きると思う。
読書習慣みたいなものが身について、出かけるときはバッグに本を入れるくせがついた。Kindleが出てからも紙の本も一冊は持ち歩くようにしてる。
読んで覚えるとか無理
最初の頃、すごく悩んだことに本を読んでも内容をあんまり覚えてなくて、こんなんで本を読む意味あるのかなぁ、って言うのはずっと不安だった。
今になって言えるのは全然OK。これは覚えてないのではなくて、思い出すきっかけがないだけって言えばいいのかな。
本をたくさん読んでくと、別の本を読んでるときに、かなり前に読んだ本の内容を思い出したりする。タイトルも著者もうろ覚えだから、探すのが大変だったりするけど、本に書いて有ることがきっかけになって思い出す。下に書くけとメモを作るようになってからは探すのも楽になった。
だから、もし本を読んでも覚えてないって心配になってるひとがいたら、それでOKです。って教えてあげて。
でもなるべく取り込みたいなら
とはいえ、せっかく読むのだからなるべく覚えて、活かしていきたいとも思うよね。なので、読書本に書かれてて、今まで試してみたことを書いてみる。
線を引く
線を引いても覚えてられる度合いは何もしないよりはまし、ってくらい。ただ読みながら重要な箇所を探そうとして読んでると、大事なことをいうときに使われる接続詞とか、例文に入るところとか、そういう読み方が出来るようになる。
文章の構造を意識して読めるようになると、飛ばし読みができるようになる。本にも寄るけど、大体の文章は主張部分とそれを説明する部分で出来ているので、主張を読んでわかったら、説明部分は飛ばしてもいい。とくに急いで読みたいときや、サラッと流し読みしたいときにこれが出来るといい。
メモを書く
メモを書くのは最近ようやく身についた習慣。何かの本で見つけて、これはやったほうがいいなと思って、メモとボールペンをもち歩くようにしたけど、なかなか習慣にならなくて、メモもボールペンもよく忘れてた。たぶん5年位かかって出来るようになった。
メモを書くのが本を読むときにとても役に立つ。読んでる最中に気づいたことをキーワードやフレーズ、思ったこと、ページ数をメモしておく。このメモがあると本を見なくてもそれを読むだけで肝心なところのおさらいができるんだよね。
このメモを沢山とっておくと、あとから内容について考えるときも役に立つ。机の上に広げて並べたり、順番を入れ替えたりできるのでおすすめ。あとで文章にしたいときにすごい使える。
読んだことを人に伝える文章にする
読んだら書く。これすごく大事。でもすごく大変。
だからやったほうがいい。
ここまでやると必ず内容は頭に入る。読んだら重要な部分を自分の言葉に置き換えて、それを誰かに伝えようとすると、頭のなかでこねくり回さないと書けない。その作業をすると本の内容を覚えるというよりも、自分の考えになってるっていうのが近い。
時間があるならこれがおすすめ。
引用ノートはマジで勧める
時間がない人でもやっておいたほうがいいのは引用ノート。読書が好きになったら必ず文章を書きたくなる。そのときに偉人や先人の言葉を借りられるのは強い。それを読み返すだけでも知識の再確認にもなる。
引用するのはとにかく気に入った文を片っ端から集めるのをおすすめする。自分の場合はさっき言ったメモに書き溜めてあとからノートに貼り付けてる。スマホとかにメモしたほうが検索しやすいんだろうけど、手書きが好きだから手書きにしてる。
まあ、楽しむのが一番
色々書いたけど、すべての本でやっているわけでもなくて、サクッと読み切ってしまう本もあれば、何度も線とメモ書きだらけで教科書代わりにしている本もある。
慣れる前から色々しようとすると嫌になってしまうので、まずは楽しんで読むのが一番だと思うよ。
それでは、よい読書ライフを!
気体と固体で殴り合うインターネット 知識のお話
ども、ぐぐーるです。知識とは何か?を例えてみた。
気体ではつかめない。固体では崩せない。液体のような知識の持ち方が良いと思う。
何かを学ぶとき読んだり、話を聞いたりしただけでは情報は漂う空気のようなもの。
何かについて考えることでで液体として自分に入ってくる。取り込んだ知識は柔軟に必要なだけ使うことが出来る。
しかし、考えるのをやめると何かは固体になってしまう。固体化すると柔軟な使い方が不可能になる。それについて考えることが面倒になる。
考え続ける必要があるが、すべての領域において考え続けるのは不可能であるので、各領域において考え続けるひとを知っておくことが大事。
インターネットを見てて気体と固体で情報を扱うひとの多さを感じて書いてみた。
【創作】女たちの昼下がり
ふたりは公園のベンチに並んで座り話していた。
A子「若いってうらやましい、ニコニコしてるだけであんなにちやほやされて」
B美「言ってることがおばさんくさいぞ」
A子「みなさいよあれ、みんなデレっとした顔しちゃって」
B美「まあ、たしかにね」
A子「あたしも10年前はあんな風にちやほやされてたのよ」
B美「ふーん」
A子「それが今じゃ、誰もかまってくれない」
B美「あたしがいるじゃん」
A子「さっきだって、男どもったらCの周りに群がっちゃってさ」
B美「そりゃ、仕方ないよ。あの子は童顔でぶりっ子だもん、男は放っておかないって」
A子「あんなぶりぶりのぶりっこなにがいいのかねぇ」
B美「そういえば、あんた最近G君のことチラチラ見てるよね」
A子「はっ?見てないし」
B美「わかりやすいねぇ、顔、赤いよ。もう6年の付き合いだよ、あんたとは」
B美「あんた、気づいてないみたいだけど、Gもあんたのこと見てるよ」
A子「・・・・・・・!」
B美『うはは、耳まで真っ赤になってる、かわゆいねぇ」
A子「もう!からかわないでよ!」
A子「あたし、帰る!」
A子は立ち上がるとカバンを背負って走り出した。
A子「あとでー、塾でねー」
B美「ほーい」
A子は途中で立ち止まるとベビーカーを覗き込んで、デレっとしていた。
ひとの作ったタイトルで遊んでみる
どーも、ぐぐーるです。
今日はひとのタイトルをネタに遊んでみるです。実はツイッターに投げてたやつをまとめるだけの簡単なお仕事。のはず。
んではお題。
ありきたりな「無印で買うべきアイテム100選」はもう参考に要らない→雑貨メーカー勤務の会社員が選ぶマジでおすすめな商品 - Togetter
タイトル長い。”勤務の会社員” のあたりで寝てしまうひとが出てくる。
まずはざっくり削る。
「ありきたりな」ありきたりってことは世の中に溢れてるってこと。後に続く「無印で買うべきアイテム100選」この表現がありきたりだとすればみんなこれを見ればわかるよね。ってことでカット。
「もう参考にならない」打ち間違いは直してるよ。これね参考にならないってことは「役に立たない」とか「もう古い」とかでいいよね。今回は「もう古い」にしてみる。
「雑貨メーカー勤務の会社員」って「雑貨メーカー社員」で伝わるよね。
「選ぶマジでおすすめな商品」おすすめなんだから選んだものだよね。だから「選ぶ」もいらない。
んでこんな感じ
変更前
ありきたりな「無印で買うべきアイテム100選」はもう参考に要らない→雑貨メーカー勤務の会社員が選ぶマジでおすすめな商品 - Togetter
変更後
「無印で買うべきアイテム○○選」はもう古い→雑貨メーカー社員のマジでおすすめな商品 - Togetter
だいぶスッキリした。もう古いは別の言い回しでも良さそうだね。もっとガッツリ削ってみるとこんな感じ。
「無印○○選」はもう古い→雑貨メーカー社員のおすすめ商品
これでも伝わる。でも削るだけじゃ楽しくない。次は意味は変えずに書き換えてみる。
- 雑貨メーカー社員のおすすめ商品は「無印で買うべきアイテム◯◯選」を越えていく!
- 雑貨メーカー社員のおすすめアイテムが原因で無印離れが(加速する|深刻だ)
- 雑貨メーカー社員のおすすめアイテムで捗りすぎワロタ。無印とかイラネ
- 「無印で買うべきアイテム◯◯選」を光の速さで置き去りに。雑貨メーカー社員のおすすめアイテムがヤバイ
- まだ無印で買ってるの?時代は雑貨メーカー社員のおすすめアイテム
面白いタイトルにはなるけど、雑貨メーカーって引きが弱いんだよね。雑貨が好きな人は興味を持ってくれるだろうけど、無印のほうが名前を知ってる人が多いからね。雑記のブログなら読者の広さも考えると無印のほうがいい。普段から雑貨について書いているなら雑貨メーカーでもいいね。
うん、楽しかった。そして自分の語彙力のなさに愕然とするも楽しめた。
ってことで今日はこのへんで
思いつきのなんで?01
ども、ぐぐーるだ。
思いつきでなんでだろうと思ったことを書くよ。
空振り前提だから力を抜いてる?
きっかけはサッカーでさ、ボールを蹴ろうとして空振りすると、体にダメージ来るの。やったことある人ならわかると思う。ボールからの反発力も想定して力が入っているから、それがないときに振りすぎてしまうんだと思う。
でもね野球って空振り前提じゃない、なんで野球は空振りしてもそんなにダメージ来ないんだろう。って不思議じゃない?
んで思ったのは空振りの危険を想定して、無意識に力抜いてるんじゃないかって思ったのよ。サッカーやバレーはそもそも空振りのほうが少ないからフルパワーでやる。
んで、テニスやゴルフもって思うんだけど、テニスはラケットがデカイ、ゴルフは球が止まっている。から空振りが少ない。
なんで?野球は手を抜いてるの?
「女性の話を聞く」に感じていた疑問が解決したのでお知らせ
ども、ぐぐーるなり。
今回は長年の疑問であった。「女性は何故、答えの出ている話をわざわざしてくるのだろうか?」の答えがわかったので書き残そうと思う。
この疑問は女性と話をするときにいつも感じていた。とくに愚痴話をされると、つい話の途中で冷静な分析結果から「それはさぁ、」なんて始めるとたいてい怒りの矛先はこちらに突き刺さる。
なんとかなだめて、話を最後までいくと、結論はそこに至ったりする。
「えぇ〜」となる気持ちは男性諸君にはお分かりいただけると思う。
「えぇ〜」となる気持ちは男性諸君にはお分かりいただけると思う。
「えぇ〜」しつこいな。すみません。
こんなことから、僕は女性はただ聞いてほしいだけなんだと思っていた。話に共感してもらってそれで納得と言うか落ち着くのだと思っていた。
しかし、違ったのだ。
「早く言ってよ〜」読み終えた男性からはこんな声が聞えるだろう。
それではご登場いただこう。
「女の機嫌の直し方」著者 黒川 伊保子である。
早速、その答えを引用しよう
プロセスを語るその裏で、「何が真実か」を探る演算を無意識のうちに行っている。事の経緯を語るうちに、そこに潜む真実に気づき、人間関係のひずみや、自分の失言に気づいたりするのだ。
その際に重要なのは、”思う存分”経緯を思い出すこと。そもそも女性脳は五感をフル回転させて状況認識をしているので、それらの記憶をしっかり解凍して、リアルに再体験することが大切なのである。
そのためには、話の腰をおってもらっちゃ困る。
中略
真実を探る陰の演算がアボート(中断して無為に帰す)してしまう。しかも、同じ質で演算を再開させるのは、ほぼ不可能なのだ。
女の機嫌の直し方 黒川 伊保子
つまり、女性は話をする過程でリアルに近い再体験をしながら問題の本質に迫っていく。ということになる。
その話の腰をおられると再体験プロセスは終了し、しかも再度それを立ち上げることが難しい。となればキレるのは当然か。
「早く言ってよ〜」
と言いたいところだが、当の女性はこんなプロセスが自分のなかで動いているとは気づいていない。この著者はAIの研究開発に携わる人で脳の働きに注目した人だからこそ女性の脳で起こることを言語化出来たのだろう。
さて、これで何故、女性がことの発端から終わりまで語るのかがお分かりいただけたと思う。
そして男性のやることはシンプルである。奥様や彼女が思う存分記憶を追体験できる聞き手になれればいい。簡単だ。
うん。簡単だ。健闘を祈る。
この本、このあと男性脳の特徴も説明されていてそれもかなり腑に落ちる説明なんでそれもそのうちに紹介したい。
それは女性が持っている「なぜこの男はあたしだけの味方をしないのだろう?なぜ隣のおばさんとあたしを同列に扱うのか?」という疑問に答えるものである。
どうしても答えが早く知りたい方はアマゾンへ。答えがわかったあとは旦那に読ませれば一石二鳥。
あとがき
世の中では男性脳、女性脳というのは否定されている界隈もあるそうですが、著者は間違いなく脳の性差は存在すると説いています。ですので男性脳、女性脳という表現を使わせていただきました。
僕の中では女性的な、男性的な、脳の使い方という考え方が好きで、男性でも女性的な脳を持ってると感じる人もいるし、その逆も然り。その強さも様々なので、女性だからこうだろうと決めずにコミュニケーションを取りながら測るのがいいように感じる。
そんなことを意識せずにAIの開発者さんが書いた本ということで買った本だったので思いがけず答えに当たって嬉しかった。こういう出会があるから本は楽しい。
無邪気なアホになりたい
ども、ぐぐーるっす。ふと、思った。
なんか一生懸命生きるの飽きたなって。まぁ元々そんなに頑張って生きてるわけではないんだけどね。
人に気を使って、やらなきゃいけないことをこなしてって、金と人のために生きてる感をまぁ何年かおきに感じる。生きるために生かされてるっていうの?生活を維持する努力?
んで、最近、アホに生きたいなって思った。中学生くらいの楽しい感じで生きたい。今までの人生で多くの人にあったけどこういう人たちがいた。彼らはこんな言葉で表された。子供っぽい、ニコニコしてる、いつも楽しそう、お馬鹿。彼らは周りの人たちから愛されていた。一言で言うなら無邪気。
おれも無邪気に生きたいのだ。どうすればいい?
考えた、無邪気さでは他の追随を許さない生き物。子供。
子供は無邪気
子供って無邪気だよね。まちなかで子供がトコトコ歩いてるのを見ただけでなんかほっこりする。
まずなんであんなに無邪気なのか考えてみる。
遊びを楽しむ
子供は遊びの達人、子供の頃、横断歩道の白線の上を落ちずに歩く。ちょっと高くなってる段差を落ちないように歩く。石ころを家まで蹴っ飛ばして帰る。そんなことをやった覚えのある人、または子育て中に子供のそういう部分を見た人もいるんじゃないかな。
自分の友だちに聞いてもみんなやってたし、自分の子供もやってた。
これって面白い。誰かに教えてもらうわけでもないのにみんなやってる。そこから考えると子どもたちは自分で思いついてやってる。
他人からの評価を気にしていない
子供は自分と他人を比較しない。とても楽しい時間を過ごしている。遊びには他人の評価は必要ない。自分が楽しめるかどうかが大事だ。
無邪気を潰す魔の手
しかし魔の手が忍び寄る、親にはよそのこと比較されて、ものを言われる。学校に行けば点数で比較される。
こうして子供は他人と比較することを覚える。自分の基準で楽しめた遊びに他人の評価を持ち込むことでつまらなくなる。
大人の無邪気はアホ扱い
さて無邪気の敵は人との比較とわかった。これをやめ、遊びを楽しめば無邪気になれそう。ほかに大人が無邪気を目指すの邪魔になりそうなものはなんだ!
おう!かかってこいアホでいい!社会的評価なんぞ元々ないも同然。捨ててやる。っていうか誰だっけ?
でもなんでアホとして扱われるのか。それは多分自分たちが見失ってしまった楽しさを持ち続けているから。やっかみだな。
でも本当は惚れられます。自分が本当は望む姿をもっているから。それはさきほど話した知り合いを見てればわかる。なんだかんだ言っても彼らは愛されていた。まあ愛されたいわけじゃないんだ。ぼっち好きだし。
ならばアホになろう
よし、問題はクリアになった。アホになろう。アホをばらまいて世の中をホッコリさせたる。